西薗良太とは
西薗良太さんとは、鹿児島県霧島市出身のプロのロードレーサーです。西薗さんはヒルクライムの強さが持ち味の選手だが、フォームや戦略を組み立てて挑む個人タイムトライアルレースも得意としています。
西薗良太の経歴
西薗さんは全日本選手権を3度も制覇されています。また、東大出身の異色のロードレーサーで東大生初となるインカレを制し、卒業後プロの世界へ。シマノ、ブリヂストンアンカーといった国内トップチームで活躍したのち,海外プロコンチネンタルチームなどで活動されています。そんな西薗さんはどんな人物なのか、どういう自転車人生だったのかを経歴や戦績とともに紹介していきます。
西薗良太の学生時代
自転車を始めたきっかけとなった中学時代
西薗さんは、小学生のころから地元の山なりの道を自転車で冒険するのが好きでした。中学一年のとき部活は陸上部に入部しています。一年生の終わりには膝を痛めながらも、だましだまし続けてられていました。そんな時通学で使っていたクロスバイク、リハビリを兼ねてと医者にすすめられたのが、自転車を始めたきっかけです。
走り出した自転車人生
中学生の西薗さんは、乗っているうちに自転車が楽しくなり、帰宅途中クロスバイクを買った自転車屋さんに通うほどでした。二年生になると、隣町で行われたヒルクライムレースに出場し、中学生のなかで一番になります。大人も含むリザルトは10位くらいで、それが悔しく翌年も出場すると優勝でした。そのころの西薗さんは、通い詰めたお店からロードバイクを借りて出場していました。
一人走り続けた高校時代
高校生になった西薗さんは、部を結成するが基本的に一人で走っている日々でした。社会人の人に基礎を教えてもらい、レースに連れてってもらったりしていました。インターハイにも出場しておらず、成績という成績は、中学生のころから出場しているヒルクライムレースを連覇したことです。
苦労と飛躍の東大時代
西薗さんが進学した大学はなんと東京大学。知り合いが行くからという理由で、特にやりたいことがあったわけではないと言われてますが、それで本当に行けるのですからすごいです。一、二年生のときは勉学やバイトに励み時間がない中、練習方法を工夫したり、データや理論を勉強しました。
インカレを制しプロへ
三年生になると、インターカレッジのロードレースと、個人タイムトライアルで、みごと優勝しました。その成績が評価され、四年生のときに、シマノレーシングからオファーがあり、プロの道を歩むこととなったのです。
ロードレーサー西薗良太の活躍と戦績
主な経歴と戦績
プロなら海外のレースに出たかったという西薗さん、プロ2年目にブリヂストンアンカーに所属していた時、全日本TT(タイムトライアル)で日本チャンピオンになりました。その活躍が認められ海外のプロコンチネンタルチームへ。2013年にチーム解散を機に一度は引退するも、2014年にブリヂストンアンカーに復帰します。その後2017年までの3年間、プロとして自転車界を盛り上げてくれました。
2度の引退
西薗さんは二度プロの世界を引退されてます。一度目はチームの解散を機にされており、二度目の引退は30歳を節目にしてたこと、若手の成長が要因となったそうです。家族の影響もあり、特に娘さんの出産が大きな決断のポイントだったそうです。このことからとても家族愛に満ちた優しさがうかがえます。
西薗良太の現在とまとめ
現在の西薗さんは、東京大学の院生でVRやARといった技術分野で使用する、高速視線制御を研究されてます。自転車との関わりでは、スポーツ科学に関するコンテンツを提供していきたいという思いから、ポッドキャストで「Side by Side Radio」という番組をされています。理詰めの理論やデータで知られる西薗さんですが、はたしてそれだけでここまでなれたでしょうか?西薗さんの人柄、なにより自転車が大好きだったことが、西薗さんの成功につながっているのではないでしょうか。西薗さんのさらなる活躍に期待していきたいです。